田遊びは、古くから伝承されてきた水田耕作に関わる行事で、徳丸北野神社のそれとともに国の重要無形民俗文化財に指定されています。
赤塚諏訪神社で行われる「田遊び」は、毎年2月13日(旧暦の正月13日)の夜に行われ、その年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る予祝の神事です。
赤塚諏訪神社「田遊び」の概要
「田遊(たあそ)び」は、その創始の時期については不詳ですが、江戸時代の記録には、「大昔から行われていて、古風を失わない祭礼」と書かれているとある。
「田遊び」には似た様なものが全国的に残っているが、その中でも「板橋(下赤塚と徳丸)の田遊び」は、ほぼ完全な形で受け継がれている所が特徴的だと言われています。
赤塚諏訪神社のある荒川右岸一帯の此の辺りは、台地からの湧水の多い湿地帯で、江戸時代には「徳丸ヶ原」と呼ばれていました。
大掛かりな開墾が行われて明治時代以降には穀倉地帯になり「赤塚村」に属していた此の地方の大半が農村としての面影を1950年代までは残していました。
「田遊び」は農村にとって、水田耕作にかかわる神事で、年の始めにあたりその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る「予祝:よしゅく」の祭りなのです。
赤塚諏訪神社の「田遊び」は毎年2月13日(旧暦の正月13日)の夜に行われ、本殿と大鳥居間の神輿渡御の後、社殿に設けた「もがり」の中で一年間の農耕行事が所作と唱言によって象徴的に演じられるのです。
板橋区の赤塚諏訪神社で行われる「田遊び」は、徳丸北野神社のそれとともに1976(昭和51)年、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
赤塚諏訪神社田遊び2020の開催情報
名 称 | 赤塚諏訪神社 田遊び |
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開催期間 | 2020年2月13日 19:00~20:00 |
開催場所 | 東京都 赤塚諏訪神社 |
所 在 地 | 東京都板橋区大門11-1 |
料 金 | 無料 |
アクセス(公共交通) | 地下鉄三田線「新高島平駅」から徒歩15分 地下鉄三田線「高島平駅」から「成増駅北口行」のバス「大門竹の子公園」~徒歩5分 |
アクセス(車) | 首都高速道路高島平出口からすぐ [駐車場]なし |
問合せ先 | 板橋区役所生涯学習課文化財係 電話番号/03-3579-2636 ホームページ/板橋区役所公式サイト |
備 考 |
行事の詳細とみどころ
赤塚諏訪神社と徳丸北野神社、この二つの神社はせいぜい1.2キロしか離れていないのに田遊びのプログラムには違いがかなりあるのです。
一番大きな違いは、徳丸北野神社の田遊びでは、もがりのなかでほぼすべての演目が行われるのに対し、赤塚諏訪神社ではもがりの外側で行われる演目がいくつかあるということです。
ただ、祭りの所作の順番などに違いがあるとはいえ、唱え言葉の節回しなどはほぼ同じです。
「田遊び」は毎年2月13日(旧暦の正月13日)の夜に行われ、本殿と大鳥居間の御神輿の渡御の後、社殿に設けた「もがり」の中で一年間の農耕行事が所作と唱言によって象徴的に演じられます。
祭りの準備~モガリ外の行事
祭りの前日、2月11日に餅つきが行われ、神前に供える鏡餅や田遊びで用いる鍬、さらに供物の丸もちなどが作られます。
翌13日、保存会の人たちは9時に神社に集まり祭礼の準備に取り掛かります。お篝として焚き上げられるお札が積み上げられ、モガリと呼ぶ田遊びの舞台となる庭が設営されます。
また諏訪神社田遊びはモガリの中だけでなく、社務所や近くの広場を舞台として謡や神輿渡御など様々な行事が行われるのでその準備が進められます。
赤塚諏訪神社の田遊びは19時ごろに開始、本殿の左奥にある社務所の大広間には氏子と来賓達が集って、「新年の会(年頭式)」が始まります。
19時10分過ぎには、上座に座った「大稲本」や「小稲本」、「控人」に対して、「昼飯持」が御神酒と沢庵を運び、振る舞います。
振る舞いを受けた後、「大稲本」達は、心身潔斎のために謡曲を謡います。
19時45分前には、宮司は拝殿に向かい、修祓、降神の儀、祝詞奏上が行われます。
「もがり」の上に安置された「御神輿」に宮司の祝詞奏上が終わると、鍬とりの一同によって「五月女(さおとめ)」呼び込みがおこなわれます。
続いて神輿の渡御となり花籠や弓など道具が赤塚諏訪神社の境外社、浅間神社のお祭り広場まで運ばれます。
子供たちがササラで道を叩き清め、天狗がでてきて神輿を先導します。
浅間神社までの暗い住宅地のなかを掲げられた高張提灯がゆらゆらと揺れ、短いフレーズを繰り返す横笛の音とともに行列は進んでいきます。
広場の前まで来ると花籠を立てて地面を打つ音を合図に天狗が一声大きく吠えるのが習わしになっています。
広場では、「花籠」を振って五色の紙片が振り落とされ、花籠に向かって「破魔矢」や男の子が乗った「駒」等が突進し、つつかれ厄を落します。
悪疫を退散させる獅子舞である、「九字の舞」も奉納され、神輿はゆっくり諏訪社に戻ります。
神社への帰りは参道の正面でなく、西側の鳥居から拝殿前のモガリ脇に戻ってくるのが習わしになっています。
神輿が拝殿前に戻り安置されると、天狗が「モガリ」の前で地鎮の「御鉾の舞」を舞います。
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男の子「駒」
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九字の舞
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太鼓に合わせて竹の先に花籠の付いた「花籠」を振り、そこに向かって「破魔矢」が進み厄を落とすと、続いて「花籠」に向かって男の子が乗った「駒」が進み厄を落とします。
さらに、悪疫を退散させる獅子舞い「九字の舞」を奉納します。
「もがり」での田遊び
20時半頃からの「もがり」での田遊びでは先導者の「大稲本」と「鍬とり」の掛け合いで展開していきます。
田遊びは唱え言葉や所作により、一年間の稲作の様子を模倣し演じます。
- 町歩調べ:大稲本・小稲本・鍬取りが苗代を作りその数を数えます
- 田打ち:鍬取りが、持ちで作った鍬を、田圃に見立てた太鼓の上に置き、つきながら回ります
- 苗代かき:
- 大足ふみ:
- 種まき:それぞれの田に種を蒔きます。大稲本が錫杖を鳴らし、太鼓に種をまくしぐさをします。
- 水かけ:
- 鳥追い苗見:
- 春田打ち:鍬取りが鍬を田に置き、つきながら田を掘り起こします。
- 植田代かき:牛の面をつけ、背中に餅の鞍をつけた「牛」役が田を回り、ならします。
- 呼び込み:所役が白扇を広げて「よねぼ」を呼び込みます。
西側の鳥居から藁人形の「よねぼが」登場し、抱きかかえられながら「モガリ」にむかいます。
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よねぼ
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太郎次&やすめ
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次に西の鳥居から「太郎次」が踊りながら登場し、その後を「やすめ」も踊りながら登場し、モガリの前で二人が抱き合います。
「太郎次」は竹の「ささら」を鳴らしながらおどり、二人は西の鳥居へ戻っていきます。
もがり内の田遊びが始まり「種まき」の途中頃、神社の境内広場では「お篝(かが)り」にも点火されて災厄を祓います。
高さ5メートルほどに積み上げられた正月飾りなどが燃やされ盛大などんど焼が行われます。
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鉾舞
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とんど焼
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動画で見る赤塚諏訪神社の田遊び
地 図 情 報
折口信夫氏による『田遊び祭りの概念』の文章が青空文庫にありました。
そのなかにも「赤塚村の諏訪神社~」とこの神社の名前が出てきています。田遊びを見に行く人にはおすすめです。